Book LOG | 村上春樹の「職業としての小説家」

 

村上春樹の「職業としての小説家」

 

村上春樹の「職業としての小説家」を読みました。

 

僕自身、かなりのハルキストなのですが、本書を読むことで色々な謎が解けました。
村上春樹好きにはマストの一冊。
好きな映画のメイキングは見逃せない、そんな感じ。

 

以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

僕は思うのですが、小説を書くというのは、あまり頭の切れる人に向けた作業ではないようです。

 
——————————————
 

奥さんと二人で、三年ばかり仕事をいくつかかけもちでやって、なにしろ懸命にお金を貯めました。そしてあらゆるところからお金を借りまくった。そうやってかけ集めたお金で、国分寺の駅の南口に店を開きました。それが1974年のことです。

 
——————————————
 

そこには何か間違ったもの、正しくないものが含まれている。健全な想像力が失われてしまっている。そういう気がしました。そして結局のところ、その激しい嵐が吹き去ったあと、僕らの心に残されたのは、後味の悪い失望感だけでした。どれだけそこに正しいスローガンがあり、美しいメッセージがあっても、その美しさを支えきるだけの魂の力が、モラルの力がなければ、すべては空虚な言葉の羅列に過ぎない。僕がそのときに身をもって学んだのは、そして今でも確信続けているのは、そういうことです。

 
——————————————
 

バットがボールに当たる小気味の良い音が、神宮球場に響き渡りました。ぱらぱらというまばらな拍手がまわりから起こりました。僕はそのときに、何の脈略もなく、ふとこう思ったのです。「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と。

 
——————————————
 

アゴタ・クリストフ

彼女は外国語を創作に用いることによって、彼女自身の新しい文体を生み出すことに成功しました。短い文章を組み合わせるリズムの良さ、まわりくどくない素直な言葉づかい、思い入れのない的確な描写。それでいて、何かとても大事なことが書かれることなく、あえて奥に隠されているような謎めいた雰囲気。

 
——————————————
 

そのような自分の経験から思うのですが、自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけ出すには、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」という作業が必要とされているみたいです。考えてみれば、僕らは生きていく過程であるというか、与えられた細かい選択肢あまりに多すぎて、自己表現みたいなことをしようと試みるとき、それらのコンテンツがしばしばクラッシュを起こし、時としてエンジン・ストールみたいな状態に陥ってしまいます。そして身動きがとれなくなってしまう。とりあえず必要のないコンテンツをゴミ箱に放り込んで、情報系等をすっきりさせてしまえば、頭の中はもっと自由に行き来できるようになるはずです。

 
——————————————
 

まあ世の中は世の中として、とにかく小説家を志す人のやるべきは、素早く結論を取り出すことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、蓄積することであると僕は考えます。そういう原材料をたくさん貯め込める「余地」を自分の中にこしらえておくことです。とはいえ「できるだけありのままに」といっても、そこにあるすべてをそっくりそのまま記録することは現実的に不可能です。僕らの記憶の容量には限度があります。ですからそこには最小限のプロセス=情報処理みたいなものが必要になってきます。

 
——————————————
 

あと35年くらい経ったら、また新しい状況が生まれているかもしれませんが、その顛末を僕が見届けることは、年齢的にみてちょっとむずかしそうです。どなたか僕のかわりに見ておいてください。

 
——————————————
 

朝早く起きてコーヒーを温め、4時から5時間机に向かいます。1日10枚原稿を書けば、一ヶ月で300枚書けます。単純計算すれば、半年で1800枚が書けることになります。

 
——————————————
 

それでは持続力を身につけるためにはどうすればいいのか?

それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものです ー 基礎体力を身につけること。逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。

 
——————————————
 

「作家は贅肉がついたらおしまいですよ」

 
——————————————
 

このような致命的な悲劇の段階にまで押し進められたのは、僕が思うに原稿システムの抱える構造的な欠陥のためであり、それが生み出したひずみのためです。システム内における責任の不在であり、判断能力の欠落です。他人の痛みを「想定」することのない、想像力を失った悪しき効率性です。

 
——————————————
 

ものごとを自分の観点からばかり眺めていると、どうしても世界がぐつぐつと煮詰まってきます。身体がこわばり、フットワークが重くなり、うまく身動きがとれなくなってきます。でもいくつかの視点から自分の立ち位置を眺めることができるようになると、言い換えれば、自分という存在を何か別の体型に託せるようになると、世界はより立体性と柔軟性を帯びてきます。これは人がこの世界を生きていく上で、とても大事な意味を持つ姿勢であるはずだと、僕は考えています。読書を通してそれを学び取れたことは、僕にとって大きな収穫でした。

 

 

——————————————————————————–
*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

——————————————————————————–

 

» 村上春樹の「職業としての小説家」
» BOOK LOG一覧はこちら

 


booklog

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました