大人な映画鑑賞、第四弾。恒例の友人夫婦と、話題のマイケル・ジャクソン映画『Michael』を、IMAXの巨大スクリーンで観てきた。

映画としては賛否両論あるらしい。ストリートとしてどこを切り取るか、みたいなところで、意見が分かれるのはわかる。
でも個人的には、すごく引き込まれた。
あっという間の2時間で、え、もう終わり? という感じ。ある意味、ちょっと物足りないぐらいだった。それはきっと、没頭できた良い映画だったのだと思う。

同じ時間を生きていた世代の”答え合わせ”
冷静に振り返ってみると、時代背景がちょうど、俺の少年時代と重なっていた。
小学3年生でアトランタにわたり、テレビでBillie Jeanが流れていた。小学5年生で引っ越したLAでは、カラーギャング抗争が街のリアルな話題としてあり、Beat Itが話題になっていた。ペプシのスポンサードが話題になったのも、その頃だ。
つまり俺は、マイケルと同じ時間を、しかも近くで!生きていた。その事実だけで、この映画は自分にとって、単なる伝記映画ではなくなる。
自分史の答え合わせ。それがこの2時間で起きた。
ジャファ・ジャクソンの”憑依”
それとは全然違う軸で、演じ切ったマイケルの甥っ子、ジャファ・ジャクソンの見事なこと。
もう途中から、マイケル本人にしか見えないというか、マイケルへの感情移入が、自分でも驚くぐらいだった。
だから時間も、あっという間に短く感じたのだと思う。
いやーよかったよ、まじで。
見せ方の話で言えば、ジャファは “マイケル・ジャクソンの甥” という肩書きを、”マイケル本人にしか見えない演者” という次のレイヤーに書き換えた。血縁という与えられた出発点から、自力の技術で、自分の見せ方を作り直している。
その意味でもこの映画は、俺にとって、自分史の答え合わせを超えたところで、いくつか大事な問いを置いていった。


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