村上春樹の「騎士団長殺し」(下)

 

村上春樹の「騎士団長殺し」(下)を読みました。

 

以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

自分と相手との関係に感情を入れすぎない。
相手との感情はフラットにしておく。

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「感情の整理術」は自分の身を守る知恵

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しかし、急にそういわれても、ぼくはまだ顔を持たない人の肖像というものを描いたことがありません。

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私が必要とするのは目の前の本人よりは、その鮮やかな記憶だった(本人の存在はむしろが咲くの邪魔になることさえあった)。立体的なたたずまいとしての記憶だ。それをそのまま画面に移行していくだけでよかった。どうやらわたしにはそのような視覚的記憶能力が生まれつきかなり豊かに具わっていたようだ。

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私は図書館の机の間に座り、それらの作品を長いあいだ子細に眺めた。いったいなにがたりないのだろう?わたしにはその何かうまくとくていすることができなかった。しかし結局のところ、遠慮なくいいきってしまえば、それらはとくになくてもかまわない絵なのだ。70年以上の歳月を下手現在の時点から見ると、そのことがよくわかる。

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雨田具彦の人生から学ぶべきことはあるだろうかと思いを巡らせた。もちろんそこには学ぶべきことがいくつかあるはずだ。生き方の変更を恐れない勇気、時間を自分の側につけることの重要性。そしてまたその上で、自分だけの固有の創造スタイルと主題を見出すこと。もちろん簡単なことではない。しかし人が創作者として生きていくには、何ああっても成し遂げなくてはならないことだ。できれば40歳になるまえに…。

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そのうちに妹の絵を描くことももうなくなってしまった。美大に進んだあと、私がキャンバスを前にして描きたいと思うのは主に、具体的な意味を持たない事象や物体になった。ひところでいえば肖像画だ。そこではあらゆるものの意味が記号化され、その記号と記号との絡み合いによって新たな意味性が生じた。わたしはそのようあん種類の完結性を目指す世界に、好んで足を踏み入れていくことになった。そのような世界において初めて、私は心置きなく自然に呼吸することができたからだ。

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免色さん、私はあなたが幸福な長い人生をおくることを願っています。そしてまたあなたという素晴らしい存在が、どこかでより長く豊かに引き継がれていくことを。

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その手紙には様々な感情と示唆が光となり影となり、陰となり陽隣、複雑な隠し絵となって描き込まれていた。もう誰も話すことのない古代言語を研究する言語学者のように、彼は何年もかけてその文面に潜むあらゆる可能性を検証した。

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しかしそこには「悟りを開いた僧」の気配はまったく見当たらない。知性も知識もなく、高潔さのかけらも見当たらない。

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アイデアは唐突に、しかし自然にやってきた。それは雨に鈍く染まった緑の木の葉に似た色だ。

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「しかしいったん能書きを並べ始めると、ずいぶんながくなりそうなワインですね」

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「そうです。私は真実よりむしろ、揺らぎのある余地のある可能性を選択します。その揺らぎに我が身をゆだねることを選びます。あなたはそれを不自然なことだと思いますか?

 

 

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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

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