昨日水曜の朝、note で「Proof over Promise.」連載の第4本を公開しました。今回取り上げたのは、新約聖書「ヤコブの手紙」2章17節。
「信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。」
──(新共同訳)
2000年前の一文を、経営に翻訳する
2000年前にエルサレムで書かれたこの一文を、経営の言葉に翻訳するとこうなります。
行いが伴わないなら、パーパスはそれだけでは死んだものです。
三度、形を変えて
ヤコブは、よほどこのことを伝えたかったのでしょう。同じ手紙の中で、三回、形を変えて繰り返しています。飢えた人に言葉だけかける愚かさ。語るだけで動かない者の空疎さ。魂のない体のような信仰。
1500年後、マルティン・ルターは「藁の書簡(rechte stroherne Epistel)」と呼んでヤコブ書と距離をとった。しかし現代の聖書学では、パウロの義認論とヤコブの行い論は「別の場面の話」として整合的に読まれています。
ディートリヒ・ボンヘッファーは「安価な恵み」と「高価な恵み」を対比して、払う代償のない信仰の空疎さを問いました。書いた通りに生きた人でした。
40年間、毎日の一言で実装された理念
記事では、10年以上関わっている東京・青梅の病院の話を書きました。
「尊厳が、大事なんです」── 大塚会長のこの言葉が、設立当時から40年間、毎日の一言で実装されてきた話。入院患者を「患者様」と呼ぶことを業界の批判にも関わらず貫き、それが今、業界に少しずつ広がり始めています。
証(あかし)は、設計するものではない。行動の後に、残るものだ。
次回予告
来週は渋沢栄一『論語と算盤』へ。「論語と算盤は一致すべきもの」── ヤコブの問いと渋沢の問いは、別の角度からの同心円であるはずです。
毎週月曜、朝7時。
Proof over Promise. ── 約束より、証(あかし)を。


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