今日はとても嬉しいことがありました。
娘が新しい水着を着る事ができました。
これだけ読むと、「なんじゃそりゃ?」ですよね(笑)
でも、これには親として心配してしまうような「背景」があったのです。
実は、娘、体にピタッとする服が苦手苦手で、かたくなにこれら肌に合わないものを拒んでいたのです。
普通にフィットするズボンもイヤだし、靴下は履けない、水着も昔から着ているちょっと大きめなのじゃないとイヤ(結果ボロボロのお気に入りの水着しか着る事ができない)。とにかく、服に関してはイヤイヤ病がはじまると、すべての予定もそっちのけで、下手したら着替えることができない結果、パジャマのまま外出せざるを得ない状態が続いていました。
そして、今回、日本のプールでさすがに、このハワイで日常的に着ていたボロボロの水着は恥ずかしいだろう、ということで水着を買いにきたのですが、案の定イヤイヤ病が再発し、周りも何ごとかと思うほど泣きわめく始末。
本人としても、一度ダメだと思うと、これが出来ない自分に対するいら立ちになったり、悲しくなったりで、感情がコントロールできなくなってしまい、さらなる感情の悪循環陥ってしまうみたいです。こうなると親としても落ち着くまで手の付け様がありません。
普段なら、あきらめるしかないのですが、今日はちょっと閃くものがあったので、深呼吸して、娘と向き合って話をしてみました。
泣きわめく娘に対して、
「ねえ、魚のウロコがどうなっていたか覚えてる?」
ハワイで魚を釣って帰ってきたら、娘っ子が遊び半分で魚のウロコをとる役割をかってでてきたことが幾度とあったので、これを思い出してもらいたくて、話をふりました。
泣き続けながら、そうにか声を絞りだして、
「覚えてるよ」と、娘。
「ウロコ取るのって大変だったじゃん?結構チカラをいれないと、ウロコって取れなかったよね?」
「うん・・・。それがどうしたの??」
「ウロコは魚にピッタリついてたでしょ?
あれがさ、ゆるゆるだったら、魚って速く泳げないんだよ。知ってた?」
何か娘も思い出したみたいで、
「あー、うん・・・
イルカもツルツルしてるよね」
(皮膚のこと)
「そう、イルカもツルツルしているところが、体にピッタリくっついているでしょ?あのイルカのツルツルの部分がブヨブヨだったらどうなるか想像してごらん」
そこで、ようやくちょっと笑いながら
「ブヨブヨだとうまく泳げなそう。遅いよね・・・たぶん」
「そうなんだよ!
水着もぶかぶかより、ピッタリしてるほうが、速く泳げると思うんだよね」
このやり取りをしている間に、急に腑に落ちたみたいで、今度は自分から水着を選び出したのです!
この行動の違いにはビックリしました。
ここまで伝え方一つで子供の行動が変わるのか、とあらためて視点の違いの大切さと伝え方がもたらす違いを目の当たりにしたのです。
その後、無事ぴったりした水着を着て、滑り台をすべっては、昨日より速くなったと喜んだり、イルカを真似た泳ぎをしていました。
伝え方一つで、全然違う反応が帰ってくることを日々のクリエイティブのなかでわかっているはずなのに、自分の子供にこれができていなかったなんて。。。
子育てのスゴく大事な部分がなんとなく見えた気がしました。
子供がかたくなに拒んできたものが腑に落ちることによって、自ら動けることが増える、といのは何とも素晴らしいことだと思うのです。
コメント