3/11は、
あの日から違う意味を持つ日になってしまったのだけど、
俺にとっては、大事な娘の誕生日。
とうとう16歳だよ。信じられる?
あの2011年の日は、娘の2歳の誕生日だったのだけど、
結局、一晩中、当時勤めていた
赤坂ビズタワーの18Fでグワングワン揺られてた。
部下が帰るのを一通り見届けてから
(確かTwitter等でどうにか連絡を取り合いながら)、
明け方、動き始めた地下鉄に乗って、
妻の実家に避難場所として合流したのを覚えている。
(茅ヶ崎は津波が警戒されていた)
余震の中、薄暗い地下鉄はノロノロ運転。
停まっては、再開の繰り返し。
到着した頃には、娘はすでに2歳になっていて、
ぐっすり眠っていた。
この時の仕事と家族のバランス判断に悩んだ経験が、
後のハワイ移住&子育てチャレンジに
つながっていくのだけど、
いずれにせよ、あの1日が、
その後の14年で俺の生き方を大きく変えたのは間違いない。
そして時は経ち…
15歳の娘は、実は昨年の前半、不登校になっていた。
もともと、周囲を取り囲む「情報」に
かなり「敏感」な方だったのだけど、
(*リテラシー高かったり、暗記力よかったり)
思えばあの頃は、友達とのSNSやら学校の授業、部活、
すべてにおいて頑張り過ぎていた。
張り詰めていた糸が、
プツンときれてしまったのだ。
本人も理由はよくわかっていない。
(すくなくともそういう印象だった)
親としては心配し、色々聞き出そうとしたり、試そうとするものの、
何もうまくはいかない。
最終的には、ただ見守るしかないという結論に達する。
ただ、それでも親にできること、
例えば、食生活の見直し(グルテン・シュガーフリー)や
デジタルデトックスの手伝いは、できる限りやった。
娘は、勉強は幸い好きな方なので、
オンラインでキャッチアップできた。
それから6ヶ月経って、友達からのサポートもあり、
学校側からの最終通告(出席日数の問題)もあり、
本人が自力で立ち上がって、学校に行き出すようになった。
とはいえ、強制的に行かせても、
またいつ糸が切れてもおかしくないので、
あくまでも自主的に学校に行くのを、
これまた、毎日ヒヤヒヤしながらただ見守るだけの日々が続いた。
そして、どうにか時は6ヶ月ほど流れ、いよいよ本日、
出席日数と単位獲得がクリアできた。
不登校分を見事、取り戻せた、ということになった。
そんな、さらに感慨深い3/11の誕生日。
おそらく、親となって、子育て史に残るのが
この娘の高校1年生という年になるのだろうな。
そんなことをしみじみと噛み締めた1日になった。

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