ハワイにきてから600日経ちました。
とてつもなく濃い日々となりました。
ハワイでの600日は「夢のような楽しい時間」というより、(ハワイという土地柄上あまり想像できないでしょうが)実は「挑戦と苦悩の連続」の日々でした。
海外暮らし、3人の子育と教育、会社の設立と独立、これらを一気にやったわけですから、そりゃそうですよね。。。次から次へと出てくる課題!課題!課題!最終ステージのボスキャラが毎日目の前に現れるような感じでした。
「やばい、今回のこれは、さすがに乗り越えられるのか? まじかー!?もういい加減にしてくれー! ここで諦めたら終わっちゃうな。 いやいや、だめだ。とりあえず深呼吸。 目の前の手に付けられることからひとつずつやるしかない」
この自問自答を何度と繰り返したことでしょう。
この600日で学んだこと。
これを一言にまとめるとしたら、それは、「人は完璧ではない。完璧を追求してはいけない。人は、ミスする生き物」だということ。
完璧でない人間がつくり出すものは、そもそも完璧になり得ないわけであって、これを理解し、自分に対しても他人に対しても容認することがすべての始まりなのですね。(分かっていてもこれがなかなかできないのです〜)
そしてその先には、この人間の「未完成さを楽しむ」ことが幸せの秘訣なんじゃないか?とも思うようにもなりました。(私自身、全然まだ実践できていませんけど、あくまでも気付きですね 苦笑)
子育てはそれを教えてくれるし、仕事を通じてもそれをいやと言う程学びます。海外での孤独と不安は一層これらを強く考えさせられます。
もしかしたら、「人は完璧ではないんだよ。完璧になり得ないんだよ」という事実を徹底的に叩き込まれるために今生が用意されているのではないかなと思うくらいです。
そもそも完璧でない人間が、選択肢の中で「完璧」や「正しさ」を求め続けると、大抵の場合は相手と喧嘩となって終わってしまいます。そして、正しさの究極の追求は「戦争」へと発展します。
そう考えると、完璧じゃない人間同士が「正しさ」を求めていくら議論したところで、あまりプラスにならないのかもしれません。
では、ちょっとだけこの「判断の軸」を、ずらしてみるとどうでしょう?
完璧じゃない人間同士が「正しさ」求めて言い合うこと自体が不毛なのであれば、どちらが「正しいか」ではなく、どちらが「楽しいか」を判断の基軸にしてみましょう。
そうすれば、今までの視界もがらっと変わります。
どちらが「自分にとって楽しいか」を積み重ねる癖をつければ自然と自らの視点も高まっていき、次は、もう一歩先の、どちらが「お互いにとって楽しいか」を考えられるようになります。
そして、どちらが「お互いにとって楽しいか」を考える癖をつければ、次は、さらにもう一歩先の、どうすれば「世の中が楽しくなるか」をより深くより温かく、企画することができるのかもしれませんね。
「個人の正しさ」の追求ではなく、「世の中にとっての楽しさ」の追求、そこまで辿り着きたいものです。
Thank you for reading.
Mahalo!
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