Currently viewing the tag: "歴史"

 

ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」

 

2018年のベストセラーから今年の14発目! 14/52
ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」を読みました。

全世界で500万部を突破、ビジネス大賞受賞と、何かと話題になっているアノ一冊です。

実はこの本、もう数ヶ月前に入手していたのですが、なかなかページが進まず、いまごろのbooklogへのアップとなりました。なぜ時間がかかったかというと、とにかく、この本は「歴史の遡り方が半端じゃない」んです(笑)まあ、それが趣旨の本なので当たり前ではあるのですが、自分の中に知識の貯蓄のないところまで話題の中心点がタイムスリップすると、人間どう対応していいのかわからないものですね。まさに未知との遭遇。

人によっては、その未知との遭遇を楽しく感じるひとももちろんたくさんいるのですが、僕の場合は、脳みそのスイッチがオフになる傾向にあるようです。特に、序盤のサピエンス史の部分は、読んでは寝落ちし、読んでは寝落ちし、の繰り返しでした。後半、第2部の農業革命後や、第3部の人類の統一が興味深く読めました。

本としては、上下巻あるのですが、上巻でお腹いっぱいになってしまいました。m(_ _)m ごちそうさまでした。

とはいえ、この手の話が好きな人には、たまらない一冊だと思いますので、以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

わずか600万年前、チンパンジーとゴリラとオランウータンがいる。なかでも、チンパンジーが一番近い。わずか600年前、ある一頭の人類猿のメスに、二頭の娘がいた。そして、一頭は、あらゆるチンパンジーの祖先となり、もう一頭が私たちの祖先となった。

ーーー

じつは、約200万年前から一万年前ごろまで、この世界にはいくつかの人類種が同時に存在していたのだ。
10万年前の地球には、少なくとも六つの異なるヒトの種が暮らしていた。

ーーー

なぜ人は高カロリーなの食品をたらふく食べるのか?
三万年前の典型定期な狩猟採集民族が手に入れられる甘い食べ物一種類しかなかった。熟れた果物だ。もし石器時代の女性が、たわわに実ったイチジクの木を見つけたら、あたりに住むヒヒの群れに食べ尽くされる前に、その場で食べられるだけ食べるのが最も理にかなっていた。今日私たちは高層アパートで暮らし、冷蔵庫には食べ物があふれているかもしれないが、DNAは私たちが依然としてサバンナにいると思っている。だから私たちは、冷蔵庫にアイスクリームの容器を見つけると、空になるまで中身をせっせとスプーンで口に運び、ラージコークで胃袋に流し込む。

ーーー

歴史上の痕跡を眺めると、ホモ・サピエンスは、生態系の連続殺人犯に見えてくる。

ーーー

人類は農業革命によって、手に入る食料の総量をたしかに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。

ーーー

たいていの人は、自分たちの生活を支配している秩序が想像上のものであることを受け容れたがらないが、実際には、誰もがすでに存在している想像上の秩序の中へと生まれてきて、その人の欲望は誕生時から、その秩序の長澤で支配的な神話によって形作られる。したがって、私たちの個人的欲望は、想像上の秩序にとって最も重要な砦となる。

 

 

——————————————————————————–
*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

——————————————————————————–

 

*Amazonへのリンク→ ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」

» BOOK LOG一覧はこちら
» 長澤宏樹の「思いが伝わる!心を動かす! 「アイデアをカタチにする技術」

 


booklog

 

 

vlog131は「壱岐島のイルカパークと観光スポットを一挙公開!」

・壱岐島のイルカパークで撮影2日目
・食べずには帰れない赤ウニ丼定食
・壱岐島観光@猿岩、一支国博物館、小島神社
 といったお話

 

 

*ドローン波情報を実験的に配信しています。波情報がアップロードされたタイミングでアラートが欲しい人は、YouTubeのサブスクライブボタンを押しておいてください。

Mahalo for another beautiful day.

 

Please like and share!

https://www.youtube.com/c/hirokinagasawa
チャンネル登録をお願いします。

 

» 4年間にわたる Hawaii DAYZはこちら
» その他のVLOGはこちら

»「思いが伝わる! 心を動かす! アイデアを 「カタチ」にする技術」

 

 

豊臣秀吉

 

小沢章友の「豊臣秀吉 天下の夢」を読みました。

昨日に続き、
子供の本棚から、歴史の基礎勉強。

 

以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

(はまぐりひとつで、夢がかなうとは。)
日吉はそのとき思った。
(そうか。夢をかなえるためには、ものおしみしないことだ。)

 
——————————————
 

人の心は、おそろしくかんたんなことで左右されるのだ。好きになれば、相手も好きになってくれる。そして相手の心をいっしょうけんめいに読みとろうとすれば、その心がなにかを欲しているのかが、おのずとわかるのだ。
のちに「人たらしの秀吉」として、どんなに気むずかしい相手であっても、そのふところ深くにするすると入っていって、相手の心を、がしっとつかむという、すぐれたわざを秀吉が身につけたのは、まずは、おそろしく気むずかしい信長に、無心でつかえたことからだった。

 
——————————————
 

(猿め、どのくらい使えるか、ためしてやれ)
そう考えた信長は、藤吉郎をためしに足軽十人の頭にしてみた。
すると、藤吉郎は、まずその十人を自分の長屋に入れた。そして、ひとりひとりの気質をみきわめて、それを巧みにつかった。

 
——————————————
 

こうして、藤吉郎の人たらしの力によって、小六ら野武士たちは藤吉郎の配下になった。
情をつくして、説得する。そして約束したことは、命をかけて守る。このふたつを、藤吉郎はかならず実行した。

 
——————————————
 

藤吉郎は、そうしたやり方ではない新しい戦い方を考えだしたのだ。それは、敵の一部を味方にかえるという、「調略」というやり方だった。まともに戦っては、美濃が容易に落ちないことに気づかされた信長は、戦う前に、敵の有力な武将をときふせて味方にしていくという、藤吉郎の戦法をとりいれたのだ。

 
——————————————
 

秀吉は、人を動かすのは、ありのままの真心であるということを知りつくしていた。いかに小細工をろうしても、人の心は動かない、心情だけが、人を動かすのだ。

 
——————————————
 

ひとつ、城攻めは土木工事である。ふたつ、血よりも汗を流せ。このふたつだった。これが、のちの小田原城攻めにもみられるように、秀吉の城攻めの根本思想となったのだ。

 
——————————————
 

だが、この和議がなった天正十年、六月二日。その日のまだ朝早くに、織田信長はこの世からいなくなった。
明智光秀のむほんにより、本能寺で、炎のなかに消えていったのだ。信長は、光秀に命じたのはずだった。備中へ行き、秀吉をたすけよ、と。だが、光秀は備中へ行かなかかった。かわりに京都本能寺へ向かったのだ。

 
——————————————
 

光秀は腹心たちをひきつれ、近江坂本をめざして、城を脱出した。しかし、とちゅうの山科の竹やぶで、ひそんでいた地元の農民の襲撃をうけ、不覚にも、腹を刺されてしまった。農民たちをなんとか追いはらったあと、光秀は、もはやこれまでと、腹を切った。
6月2日の明け方、本能寺で織田信長を打ったあと、6月3日の深夜、山科で切腹するまで、まさしく「たった十二日の天下人」であった。

 
——————————————
 

秀吉の「美濃返し」

「おのおのの家はたいまつをかかげよ。一升の飯をたいて、兵にあたえよ。あとで、十倍にしてつかわす」

 
——————————————
 

秀吉は京へもどって、従四位下(じゅしいげ)の位をさずかった。
ここに、秀吉の政権が確立したといってもよかった。秀吉は天下に号令するべく、八月に、大阪城をきずきはじめた。それは、黄金の茶室や、雄大な天守閣をもつ、これまでどこにもなかった巨大な城であった。

 
——————————————
 

大阪を中心にして、日本の経済をひとつにしよう。
秀吉は、この壮大な計画を実行しようとしていた。それは鎌倉幕府も、足利幕府もなしえない、経済の全国展開だった。物価の不公平をなくし、日本中にとどこおおりなく物資がまわるようにする。

 
——————————————
 

この二年間に、参議、権大納言、内大臣と昇進していた秀吉は、七月一日に、関白に任ぜられた。農民から、天皇のつぎに貴人とされている、関白の位にまでのぼりつめたのだ。まさしく前代未聞のできごとであった。

 

 

——————————————————————————–
*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

——————————————————————————–

 


» 小沢章友の「豊臣秀吉 天下の夢」

» BOOK LOG一覧はこちら
» 長澤宏樹の「思いが伝わる!心を動かす! 「アイデアをカタチにする技術」

 


booklog

 

 

織田信長

 

小沢章友の「織田信長の炎の生涯」を読みました。

子供の本棚から、歴史の基礎勉強。

 

以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

生まれながらにそのあわった、きわだってするどい感覚と、おさなくして一城の主となり、まわりはみな家来であるという境遇が、日本史上まれに見る強烈無比な個性をもつ、織田信長という武将の性格をはぐくむことになった。

 
——————————————
 

「はやり、槍は長いほうが勝つ。」
このように、吉法師はむかしのやり方をひとつひとつうたぐった。

 
——————————————
 

「あのまむしの娘を?」
信長はおどろいた。斎藤道三が姫をおれによこすというのか。
(いやだっ。)
そうさけびたかった。しかし、それを、もうひとりの信長がおしとどめた。
(やめよ。むだなこをするな。)
父が一度決めたことを、くつがえすことはけっしてできない。そのことを、冷静な信長は知っていたのだ。

 
——————————————
 

信長は切れ長の目で、ちらりと花嫁を見て、内心あせっていた。
(美しすぎる。こまった。美しすぎるではないか。)

 
——————————————
 

人間五十年
化天(けてん)のうちにくらぶれば
夢まぼろしのごとくなり…

 
——————————————
 

(おれには、おれのやり方がある。家臣どもの評判をよくするために、生き方を変えてたまるものか。おれにはかたくるしい生き方はできぬ。おれは、天地とともに、自由に生きるのだ。)

 
——————————————
 

それが、猿、のちの豊臣秀吉と、信長の出会いだった。

猿は、べつにあやしい者ではなかった。尾張、中村の農民の出であり、信長よりも三歳年下だった。

 
——————————————
 

結局、信長と合流することができなかった道三は、義龍の大群にとりかこまれて、戦死した。

道三の死を聞いた信長は、濃姫の前に手をついて、涙を流した。
「すまぬ、お濃っ。まむしをすくうことができなかった。」

 
——————————————
 

信長にとって、弟の信行は、あまりにもちっぽけで、あわれな存在だった。おろかなやつめ。戦に負けたら、家臣も、領民も、死ぬことになる。そのことをわかっていないのだ。まあ、よい。分をわきまえて、これから織田家の一家臣として、おとなしくしてくれればそれでいい。

 
——————————————
 

(どこだ、義元。どこにいるのだ。)
信長はその知らせを待った。

今川義元は、そのとき、のちに桶狭間とよばれることになった田楽間で、酒を飲んでいた。暑さでくずれた化粧をなおし、松林にかこまれた窪地で、すずんでいたのである。

 
——————————————
 

永禄三年、五月。二万五千の今川軍に、たった三千の織田軍が勝つ。まさに、それは奇跡としかいいのうのない勝利だった。大国駿河の今川義元を破った尾張の若き大名、織田信長。日本の合戦史上において、例のないこの大勝利は、二十七歳の織田信長の名をいちはやく全国にとどろかせることになった。
 
——————————————
 

美濃は、義龍が病で亡くなり、その子の龍興が14歳であとをついでいたため、すぐに落ちると思われたが、美濃には、天才的な軍師である竹中半兵衛がいて、なかなか勝利がえられず、信長はいったん兵をひいた。

 
——————————————
 

そして、岐阜の地を、楽市楽座にした。それまでは各地のあきんどたちは、利益を独占するために、座をつくって、ほかの者が自由にあきないをすることができないようにしていた。それをやめさせて、岐阜では、だれもが自由にあきないをできて、税はとらないようにしたのである。それを聞いた全国のあきんどたちは、こぞって岐阜の地に集まってきた。

 
——————————————
 

「馬鹿をいえ、。いまの比叡山のていたらくはなんだ。あまたの僧兵をかかえ、気に入らぬときは僧兵をあばれさせて、要求を通させる。送料とは名ばかり、山にめかけをかこい、里におりてきて、酒色にふける。こんなやつらを野放しにしておけるものか。」
信長はこめかみに青筋をたてて、怒った。

 
——————————————
 

その結果、武田軍の騎馬武者隊は、四時間の戦により、壊滅した。一万二千の使者を出して、ほうほうのていで逃げて帰ったのである。
長篠の戦いは、まったく新しい戦法を編み出した信長の圧倒的な勝利で終わった。古い戦法にしがみついた武田勝頼は、惨めな負け方をしたのである。

 
——————————————
 

いまや信長は絶大な力を持つ大大名であり、徳川家とはくらべものにならなかった。信長が、その気になったら、徳川家など、たちまち攻め滅ぼされてしまうにちがいなかった。
しかも、家康は信長の気性を知り尽くしていた。一度うたぐった者は、二度と信用しない。それが信長だった。家康は苦渋の決断をした。
「信長め。わたしをためしておるのだな。」
はらわたがにえくりかえる思い出、家康は、息子の信康に切腹を命じた。同時に、妻の篠山を暗殺した。

 
——————————————
 

人間五十年、化天のうちにくらぶれば
夢まぼろしのごとくなり
ひとたび生をうけ、めっせぬもののあるばきか

 

 

——————————————————————————–
*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

——————————————————————————–

 


» 小沢章友の「織田信長の炎の生涯」

» BOOK LOG一覧はこちら
» 長澤宏樹の「思いが伝わる!心を動かす! 「アイデアをカタチにする技術」

 


booklog

 

 

百田尚樹の「海賊とよばれた男」

百田尚樹の「海賊とよばれた男」

 

百田尚樹の「海賊とよばれた男」(上)を読みました。

 

アツい!幾度となく涙がこぼれ落ちました。

2013年の第10回本屋大賞、百田尚樹による歴史経済小説。
主人公は、出光興産の創業者の出光佐三がモデル。

2016年に映画化作品が公開予定だそうです。

 

 

これは読んだ方がいい一冊。
おすすめです

 

以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

社員たちの体がかすかに揺れた。
「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからといって、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」

 
——————————————
 

「昨日まで日本人は戦う国民であったが、今日からは平和を愛する国民になる。しかし、これが日本の真の姿である。これこそ大国民の襟度である。日本は必ずや再び立ち上がる。世界は再び驚倒するであろう」

 
——————————————
 

日本は一刻も早く主権を取り戻し、独立を勝ち取らねばならない。それこそ鐡造の悲願であった。

 
——————————————
 

「無実の者に罪をかぶせて、恥ずかしくないのか。君らは神を信じるというが、その神に恥じることはないのか」
飯田が震えながらさらに伝えると、後方にいた上役らしき男が椅子を立って、鐡造たちのほうにやってきた。

 
——————————————
 

甲賀ははっとした。戦争に負けて占領軍に統治されてから、自分たちはいつのまにかGHQを君主のように思っていたのではあるまいかと思うと、自分たちの不明さを恥じた。しかし、店主は違う。統治はされていても、精神的には常に対等であったのだ。

 
——————————————
 

鐡造は立ち上がって武知に握手を求めた。61歳とは思えぬ力強い手だった。
「今日から、君はぼくの家族だ」
その瞬間、武知の体は喜びで震えた。

 
——————————————
 

今日まで雌伏した店員たちよ。わが国岡商店はついに翼を得た。これからは龍が天に向けて翔け上がる

 
——————————————
 

「怒る必要がありますか」八重は食器を下げながら言った。「あなたがそれほどの人と見込んでのことでしょう」

 

 

——————————————————————————–
*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

——————————————————————————–

 

» 百田尚樹の「海賊とよばれた男」(上)
» BOOK LOG一覧はこちら

 


booklog

 

Tagged with:
 
Set your Twitter account name in your settings to use the TwitterBar Section.