小沢章友の「織田信長の炎の生涯」を読みました。
子供の本棚から、歴史の基礎勉強。
以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。
生まれながらにそのあわった、きわだってするどい感覚と、おさなくして一城の主となり、まわりはみな家来であるという境遇が、日本史上まれに見る強烈無比な個性をもつ、織田信長という武将の性格をはぐくむことになった。
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「はやり、槍は長いほうが勝つ。」
このように、吉法師はむかしのやり方をひとつひとつうたぐった。
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「あのまむしの娘を?」
信長はおどろいた。斎藤道三が姫をおれによこすというのか。
(いやだっ。)
そうさけびたかった。しかし、それを、もうひとりの信長がおしとどめた。
(やめよ。むだなこをするな。)
父が一度決めたことを、くつがえすことはけっしてできない。そのことを、冷静な信長は知っていたのだ。
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信長は切れ長の目で、ちらりと花嫁を見て、内心あせっていた。
(美しすぎる。こまった。美しすぎるではないか。)
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人間五十年
化天(けてん)のうちにくらぶれば
夢まぼろしのごとくなり…
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(おれには、おれのやり方がある。家臣どもの評判をよくするために、生き方を変えてたまるものか。おれにはかたくるしい生き方はできぬ。おれは、天地とともに、自由に生きるのだ。)
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それが、猿、のちの豊臣秀吉と、信長の出会いだった。
猿は、べつにあやしい者ではなかった。尾張、中村の農民の出であり、信長よりも三歳年下だった。
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結局、信長と合流することができなかった道三は、義龍の大群にとりかこまれて、戦死した。
道三の死を聞いた信長は、濃姫の前に手をついて、涙を流した。
「すまぬ、お濃っ。まむしをすくうことができなかった。」
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信長にとって、弟の信行は、あまりにもちっぽけで、あわれな存在だった。おろかなやつめ。戦に負けたら、家臣も、領民も、死ぬことになる。そのことをわかっていないのだ。まあ、よい。分をわきまえて、これから織田家の一家臣として、おとなしくしてくれればそれでいい。
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(どこだ、義元。どこにいるのだ。)
信長はその知らせを待った。今川義元は、そのとき、のちに桶狭間とよばれることになった田楽間で、酒を飲んでいた。暑さでくずれた化粧をなおし、松林にかこまれた窪地で、すずんでいたのである。
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永禄三年、五月。二万五千の今川軍に、たった三千の織田軍が勝つ。まさに、それは奇跡としかいいのうのない勝利だった。大国駿河の今川義元を破った尾張の若き大名、織田信長。日本の合戦史上において、例のないこの大勝利は、二十七歳の織田信長の名をいちはやく全国にとどろかせることになった。
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美濃は、義龍が病で亡くなり、その子の龍興が14歳であとをついでいたため、すぐに落ちると思われたが、美濃には、天才的な軍師である竹中半兵衛がいて、なかなか勝利がえられず、信長はいったん兵をひいた。
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そして、岐阜の地を、楽市楽座にした。それまでは各地のあきんどたちは、利益を独占するために、座をつくって、ほかの者が自由にあきないをすることができないようにしていた。それをやめさせて、岐阜では、だれもが自由にあきないをできて、税はとらないようにしたのである。それを聞いた全国のあきんどたちは、こぞって岐阜の地に集まってきた。
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「馬鹿をいえ、。いまの比叡山のていたらくはなんだ。あまたの僧兵をかかえ、気に入らぬときは僧兵をあばれさせて、要求を通させる。送料とは名ばかり、山にめかけをかこい、里におりてきて、酒色にふける。こんなやつらを野放しにしておけるものか。」
信長はこめかみに青筋をたてて、怒った。
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その結果、武田軍の騎馬武者隊は、四時間の戦により、壊滅した。一万二千の使者を出して、ほうほうのていで逃げて帰ったのである。
長篠の戦いは、まったく新しい戦法を編み出した信長の圧倒的な勝利で終わった。古い戦法にしがみついた武田勝頼は、惨めな負け方をしたのである。
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いまや信長は絶大な力を持つ大大名であり、徳川家とはくらべものにならなかった。信長が、その気になったら、徳川家など、たちまち攻め滅ぼされてしまうにちがいなかった。
しかも、家康は信長の気性を知り尽くしていた。一度うたぐった者は、二度と信用しない。それが信長だった。家康は苦渋の決断をした。
「信長め。わたしをためしておるのだな。」
はらわたがにえくりかえる思い出、家康は、息子の信康に切腹を命じた。同時に、妻の篠山を暗殺した。
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人間五十年、化天のうちにくらぶれば
夢まぼろしのごとくなり
ひとたび生をうけ、めっせぬもののあるばきか
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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。
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