よしもとばななの「まぼろしハワイ」を読みました。
三つの短編から構成される一冊。
ハワイを舞台に展開される複雑な家族構成とその中での成長。
以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。
まぼろしハワイ
ホノルルの空港に降り立つと、とたんに違う種類の光が降ってきて、はっとして目が覚める。
飛行機の中で見ていた人工的な世界、みんなが無理して死の匂いを、今自分たちがほんとうは人間の生きていられない異様な場所にいるのだということを忘れようとしている場所から、急に植物の命がばりばりと光を食べている中に放り出される。体内の細胞が甘く官能的に動き始める。ざわざわした動きが体の中で行き場所を求めて流れ始める。
その瞬間がいつも大好きだった。—–
子供の服が小さくなってしみだらけになって穴があいてカビも生えて、それを無造作に捨てることができることはすばらしいことだ、思春期になって少し心閉ざした子供を憎たらしく思い、小さい頃を懐かしめるのはこの世でいちばん嬉しいことだ、そういうことを。
会っているときはそんなことはおくびにも出さない、だって生きているってそういうことだから・・・簡単に言葉にするとそういうことなのだけれど、そのイメージは固まりとして胸に入ってきたのだ。この世にはない言葉を使って描かれた小説を読んだみたいだった。—–
「そんなに泣かないの。まあ涙も薬だからね。涙の中には悲しみが溶けていて、体の中で毒が固まるのをふせいでくれるのよね。」
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姉さんと僕
死体になりかけた僕の母親から、僕は引きずり出されるように産まれてきたそうだ。そのとき十歳だった姉さんはその場にずっといて、病院で、死の匂いが満ちあふれる中でたったひとり生きて輝ける登場をした赤ちゃんだった僕を育てる決心をした。
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「だってさあ、天国に行っても、きっとお酒は飲めるし。でもそこにはきっと順番はないの。きっとさ、思ったことがさっと叶うんだよ。お父さんとお母さんはそういうところにいるの。きっと。まわりの空気がゆっくりと甘くて、包まれているみたいで、ハワイみたいなところだよ。こんなところに行きたいと思ったらひゅっと行けるし、私たちの顔がみたいと思ったら、すぐに来れる。順番はないんだよ。そこには。靴をはくにもひもを結ばなくちゃってことはないのよ。きっと。」
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今度はかもめではなくって、ほんものの飛行機が銀色に光って空を横切っていった。
青の中の銀はどうしてか死の匂いがする。ものすごい筋肉痛の朝みたいに、もう行き場のない苦しさを覚えるとともに、知っている感覚だと思う。
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銀の月の下で
コナのメインストリートを、海を眺めながらとても幸せな気持ちで歩いているときにふいに、まるでトンカチで殴られたみたいに急に、そして生々しく苦しく、あのグレーの空と悲しい気持ちがむわっとこみあげてきたのだった。
それはお父さんとお母さんが離婚して、お母さんと別々に住むようになってから初めていっしょに旅行へいくことになった十六歳の冬のことだった。—–
もう戻れないんだな、子供のときには。私のことをいちばんに考えてくれて、私が小さかったしばらくのあいだは力をあわせて私を育ててくれたふたり。デパートで右の手をお母さん、左の手をお父さんとつないで、安心して歩くことはもうないんだな、あたりまえだけど。
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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。
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Link:よしもとばななの「まぼろしハワイ」
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