毎年恒例の、現地小学校のハロウィーンパレードを見にいきました。
今年からパレードに参加するのが、一人増えました。
こうして親の傍らで一緒に「傍観していた側」から「参加する側」に、ひとりひとり移行していくのでしょうね。少し感傷的な気持ちになりました。
ハワイに来てから今年で三回目になるのですが、過去の来たばかりの記事を見直してみると(過去記事:ハワイ小学校のハロウィーンパレード- 2012年)、ずいぶん慣れてきたなーと、どこか俯瞰した気持ちで自分の感情を観察している自分がいます。
そう考えると、最近「慣れることの素晴らしさ」と「慣れてしまっていくことへの恐怖」を同時に感じることが多くなってきたような気がします。
出来なかったことができるようになる喜びと、普通に日常を過ごせるようになってきた安堵感は、やはり努力への大きな報酬であり実りです。しかしながら、同時に、慣れていけばいくほど、日常の中の「気付き」を見落としていくことをも意味します。「感性を磨くという意味」では、 comfort zone(安全領域)に居座らないことが大切なわけであって、一瞬見えたものが、再び見えなくなってくるかもしれません。
見ることができるようになったモノを、冷凍保存していく術を身につけるか。
そして、どの時点で、見えたものを、どのように繰り返し語っていくのか。
はたまた、見えなくなったらまた見えるように動くのか。
色々な生き方があるのでしょうね。
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