小林よしのりの「戦争論3」

小林よしのりの「戦争論3」を読む。

自民党の憲法9条の改訂が議論されているが、論点の視点を広げる上でも一読すべき内容だと思った。とにかく衝撃的だった一冊。

この小林よしのりの「戦争論3」に書かれていることをすべて鵜呑みにするのはそれはそれで危険かもしれないが、「一つの視点」としては事実である。考えてみると歴史そのものが「勝者の理論」であり、その時々の権力者の声を都合良く情報操作と上塗り行為な訳だ。グローバル化がもたらした、「情報戦争」まっただ中の現代の社会においては、無知であることほど怖い物はないし、自分の情報リテラシーを高めることこそが、武装の一つだと考えると、読んでおくべき一冊だと思う。

特筆すべきは第13章の「侵略と虐殺の世界史」の中で語られる、宗教感がもたらした人的虐殺への概念の違い。海外ではタブー視される宗教観の議論を、堂々と虐殺を紐解くために中核に置いて説明している。この作者の勇気に脱帽した。そう考えると色々なことが腹落ちし易くなってくるのも確かだ。以下抜粋。

ヨーロッパでは、日本のように人間が直接食べられる穀物が育たないから、農耕が発達せず、放草を動物に食べさせて育ててから殺して食う。動物を殺すことに一切、罪悪感を持たないですむように、キリスト教は人間と動物との間に厳格な一線を引いた。牛や豚は、人間に食べられるために神様が創ってくださった。そういって肉食文化を正当化するのが、一神教たるキリスト教だった。温厚な農耕民族の日本人は、一般的に肉食は明治になってから。それまでは牛馬は人間とともに働く仲間だった。神は人間にも動物にも森羅万象に宿った。

ヨーロッパには人間と動物は、絶対的に違うんだという感覚があり、もともと人間以外の動物への残虐性が普通に存在する。注意すべきは、彼らの「動物」の概念は、キリスト教徒である白人以外の「有色人種」まで含まれる可能性があったことである。白人の加害者のスケールは有色人種を「動物」の範疇に入れる割り切りの冷酷さに由来している。「加害力」が違う。

また、第14章の「解放と逆転の日本史」もとっても興味深い。この辺の歴史を少しでも子どもの時に学校で教えることができたら、日本人の日本に対する考え方はもう少し誇り高きものになるのではないかな?と想像する。以下抜粋。

・400年にわたった「旧秩序」が(第一次世界大戦という)大惨事を招いた。これからは「植民地奪戦」に代わる「国際協調」の新ルールを作ろう。ということで欧米の勝戦国は考え、1919年にパリ講和会議で、その新体制を話し合った。日本人は(ここで)「人種平等案」を提出した。これは歴史上初の快挙で、それまで白人専用の伝統的国際法の秩序を打ち破る観念だった。ところが、「人種平等」は賛成多数で通過したのに、米英が強固に反対し、全員一致でなければ認められないと、強引に否定してしまった。

・日本人は「動物」ではない。有色人種は「獣」ではない。有色人種の中で当時、どこの国がそのことを示す力を持っていたか?これが世界史の中で決定的に大事なことなのだ!

・インディアン大量虐殺時代から、日米開戦までは50年ほどしかない。GHQ司令官ダグラス・マッカーサーの父親は西部でインディアンを虐殺し、フィリピンでフィリピン人を虐殺していたのだ。参戦した米軍将兵の多くは、子供の頃、父や祖父からインディアン討伐の武勇談を聞いて育った。もはや自分たちには「フロンティア」はないものだと憂鬱な思いを感じていた。今や太平洋の島々は彼らにとって「フロンティア」となり、まだ占領していない島は「インディアンの土地」と呼ばれた。

・「唯一の良きジャップは、死んだジャップ!」世間一般でそう言われたが、この言い方がドイツ人に向けられることは決してなかった。ドイツ人はもともと善良で、ヒトラーにだまされているだけ。しかし日本人は一人残らず滅ぼすべき敵。そういう認識である。対ドイツ戦の戦意高揚のためのバッジにはヒトラーの写真と「指名手配の殺人犯」の文字。一方、対日本戦のためのバッジには「ジャップ狩猟許可証年中有効無制限」(と書かれていた)。

・第二次世界大戦集「民族根絶」を考えた国はドイツとアメリカであった。白人はひたすら4世紀以上にわたって白人全能の歴史にただ一国で立ち向かった有色人種がどうしても許せなかった。

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