日本一時帰国 DAY 28 – 神保町を想う

 

今日の夜は僕が神保町会で部長を務めていたころのメンバーが当時行きつけだったそば屋で集まりを開催してくれました。

 

博報堂、豊田通商、講談社のジョイントベンチャーとして株式会社インディビジオ(博報堂DYインターソリューションズの前身)の事業化が1999年、そこからあの風情のある博報堂の旧本館に7、8年(だったかな?赤坂のビズタワーに移るまで)通いました。

 

本館は老朽化に伴い取り壊し。いまは跡形もありません

残念ながら本館は老朽化に伴い取り壊し、いまは跡形もありません


 

 

少し前、小学館のビルの建て替え工事が話題になっていましたが、「本、出版の街」として知られる古き良き神保町という街は、時代の流れの中で大きく変わろうとしています。雑多な店はどんどん取り壊され、その跡地に大きなビルやマンションが建ちました。

 

小学館のビルも工事中

小学館のビルも工事中

 

神保町の街には、僕の社会人人生の苦楽の感情がぎっしりと埋まっています。当時を振り返ると、そこにいたのは一緒に事業を立ち上げた会社経営ド素人同然の仲間と、一緒に抱いた大き過ぎる夢。ビジョンはあるのに、実現の方法が分からない。とにかく、イメージに追いつけるようにプロデューサーとしてのスキルを必死に磨き続けるしかありませんでした。

いま考えると、僕は本来はプロデューサー気質ではなかったのでしょうね。完全に無茶苦茶なペースと時間配分の中で生きていました。自分自身をプロデュースできていませんでした。結局倒れるまでそのペースを崩さずやってしまったのですが、あの時間、経験は、結局は避けては通れない、自分にとっても必要なモノだったのだと思ったりもします。この時期のプロデューサーとしての必死の経験の日々 -溺れまいとすがった諸先輩型からの「学び」が、いまのクリエイティブディレクターとしての自分を支えてくれているのだと思います。

 

奇麗なビルが増えました。少しさみしいです

奇麗なビルが増えました。少しさみしいです

 

こうして、神保町を歩いていると、色々な思い出がどの街角を曲がっても浮き上がってきます。それだけ、泥臭くて本気だったのだと思います。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました