ダン・ブラウンの「パズルパレス」を読みました。
確かに面白かったし、ダン・ブラウン特有の、宗教観とシンボリックなミステリー構成で、日常では味わうことのできない心のワクワクを満たすことができました。
しかしながら、やっぱり(あくまでも個人的な感想ですが)「ダ・ビンチ・コード」で得た興奮を超えることはなかったです。
なんででしょう?
いま振り返ると、「ダ・ビンチ・コード」のヒットの背景には(多くの作品がそうであるように)、作品の出来映えに加えて時流との相性があったのでしょうね。言い換えると、作品が愛されるコンテキストが整っていたといえのかもしれません。
「ダ・ビンチ・コード」が出版されたのが、2003年。
時代は、世紀末のノストラダムスの予言やら2000年問題やら(懐かしい!)がサクッと通り過ぎ、長年に渡り人類の脳の一部に沈殿していた「不安」はいったいなんだったんだ?と狐につままれた気持ちになったかと思いきや、今度は(2001年)アメリカ同時多発テロ事件が発生して、世の感情が一転。いわゆる「報復活動」に世論がいっきに傾き、そして躍起になりながらも、コレが本当に正しいのだろうか?と、メディアや自らの良心への疑いの念を晴らすことが出来ないような、心がなかなか定まってくれない不安定な時でしたね。
そんな時代の背景があったからこそ、この作品の特有のパワー(つまり人類が盲目的に手にする、人類史上最も売れている書物である聖書を、ダビンチとそのアルゴリズムの力を借りながら、異例の解釈で紐解いたその作品)に、魅せられた人は少なくなかったのではないでしょうか。
時代の中で圧縮されていった、人類が継承してきた価値観は、たとえその信のスタート地点がどのような始まりがあろうとも、後々の時の経過の中で生き残ることで(伝達され続けることで)、徐々に美化され、あがめられる存在になっていきます。
それはそれで最大限の敬意を示すべきことだと思いながらも、盲目的に過去を信じ、これ以外の発想を怠る思考法はやはり危険だと思うです。
日本はいまや、一つの転換期に立っているのかもしれません。
いまの時代を、未来になって振り返ると、いったいどのような時代として映るのでしょうね。
かなり脱線してしまいましたが(パズルパレスのことは全く書いてませんが 笑)そんな、俯瞰した視点を常に持ちながら作品作りをしていけるように、僕自身も視野をもっともっと広げていかないといけないな、と思うのです。
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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。
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Link: ダン・ブラウンの「パズルパレス」
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