日本一時帰国 DAY 48 – 海の日に魚を突きながら思う「ワクワクの魔力とお金の上下関係」について

 

世間は三連休。

せっかくの海の日なので、仕事の隙間を縫って湘南へGO!

 

今までは、

「波をチェックして → ボード持って海にいって → サーフィン → 呑む」

という流れだったのですが、最近ではもっぱら

「SUPとカヤックを転がして海に行って→ SUPとカヤックで海を渡って → 潜る(突く)→ さばいて食らって呑む」

という流れになってきました。

 

今日もゴロゴロ転がしながら海に向かいます

今日もゴロゴロ転がしながら海に向かいます

 

サーフィンから素潜りの突きに移行していくプロセスは、一種の「老い」なのか、はたまた「海遊びに深みがでてきた」のかはさておき、いまはこの流れが最高に面白いのです。

仲間でああだこうだいいながら模索していくというのは、不思議な高揚感があります。

 

20分くらいパドルして無事上陸

20分くらいパドルして無事上陸

 

海の透明度が釣果を左右します

海の透明度が釣果を左右します

いざダイブ〜

いざダイブ〜

 

仲間と一緒になって、一つのことを極めようとするときに感じる「ワクワクの魔力」、本来ここには仕事も遊びも区別がないのが理想なのかもしれません。

仕事なので、お金を受け取るということはとても大事な行為です。しかしながら、お金を受け取る上で、なんとなく生まれる「上下関係の錯覚」(=お金の支払う方が上で、受け取る方が下)こそが、仕事と遊びを区別する一つの要因になっている気がします。(ここでの気遣いが、仕事は仕事だと割り切る考えを生んでいるような気がするのです)

 

本来、一つのことをワクワクの元に突き詰めていくチームが構成できたとしたら、一番ワクワクしていてハマっている人こそが、一番ノウハウを持っている人であることが多いでしょう。その人はワクワクして輝いている上にその分野のノウハウを人一倍持っているから、その人にお金を払ってでも学びたいと思う人が現れてくるのは自然の摂理だと思います。つまり、本来ワクワクをベースにしていれば、仕事=お金の受け取り=「上下関係の錯覚」とは逆の流れを作ることができるのだと思います。

というように考えていくと、仕事と遊びを(特に自分の意識の中で)分けること自体が実は非効率的(非生産的)なのかな、と思ったりするわけです。

 

そして、肝心な釣果ですが、本日はみんなで頑張って粘って粘って(しかも大きい魚影が目の前に沢山見えているにも関わらず)、残念ながらカサゴ一匹に終わったのでした。

でも、それもまた良し!
これもまた、海遊びの「深み」なのです。

 
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