直木賞作家・山田 詠美の「ぼくは勉強ができない」を読みました。
最近はもっぱら実用書が多かったので、久しぶりに手にする「小説」でした。
本作品は、96年に映像化もされていたのですね。
すでに、18年前か・・・
大きな映画館のスクリーンで観てみたかった作品の一つです。
以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。
僕は、桜井先生の影響で、色々な哲学の本やら小説やらを読むようになったが、そういう時、必ず著者の顔写真を探し出して来て、それとてらし合わせて文章を読む。いい顔をしていない奴の書くものは、どうも信用がならないのだ。へっ、こーんな難しいこと言っちゃって、でも、おまえ女にもてないだろう。一体、何度、そう呟いたことか。しかし、いい顔をした人物の書く文章はたいていおもしろい。
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「たまには、親孝行と、子供孝行を一緒にやろうと思ってさ。良いことをすると気分がいいわねえ」
まとめてやってしまおうとするのが、彼女の怠慢なところだ、と、ぼくは思ったが黙っていた。
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とうに電車のない時間だった。ぼくは、二駅ぶん歩かなくてはならなかった。何かが起こりつつあるのだと、ぼくは思った。これまで当たり前に思って来たことが、すべて変わってしまうだろう予感に、ぼくは、呆然とし、信じられない思いで、ただ歩き続けた。
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「おじいちゃん、ぼくは苦しいよ」「そうか、そうか、それは良かったなあ」
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ぼくは隣にいた同じクラスの生徒に尋ねた。
「健全な肉体に健全な精神が宿ると思う?」
彼は、肩をすくめてぼくを見た。
「健全って、いったい、なんなんだよ」
そんなことは、ぼくにも解らない。だから尋ねているのだ。健康であることだろう。しかし、肉体の健康さは、はっきりと説明出来るが、それに宿る健康な心というのが良く解らない。教師の言う言葉によると、健康な奴は、皆、良い人になってしまう。それでは、病気を持っている人に気の毒ではないか。
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「セックスすると、成績が下がるって証拠でもあるんですか?」
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「でも、ぼくは、絶対に、白黒つける側になりたくないんです」
「わからんぞ。その時になってみなきゃ。でも、そうしないように努力することは出来るな。人が人を無責任な立場から裁くことなんて出来ないよ。そのことだけ解っていれば良いと思うんだ」
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「時田、おまえさ、いつも、山野さんとか、ほら演劇部の広瀬さんとか、ああいう可愛い子の話になると冷たいけど、それ、なんで?」
「自然すぎるから」
「いいじゃねえか、自然なのって。真理みたいに、ばっちりマスカラ付けてるけばいのより、やっぱ自然体だよ」
「自然体ってこと自体、なんか胡散臭いんだよなあ。自然っていう媚ってあると思わねえ?」
「言っていること、全然、解らん」
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人には、視線を受け止めるアンテナが付いている。他人からの視線、そして、自分自身からの視線。それを受けると、人は必ず媚という毒を結晶させる。毒をいかにして抜いて行くか。ぼくは、そのことを考えて行かなくてはならない。
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「でも、心は錦ですよ、おじいちゃん」
「馬鹿者!!演歌のような台詞を口にするな。私は演歌が大嫌いなのだ。私は、貧乏という試練は甘んじて受けるが、貧乏臭いのはお断りなのだ」
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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。
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Link:山田 詠美の「ぼくは勉強ができない」
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