第153回芥川賞受賞作、又吉直樹の「火花」を読みました。
最初の出だしから、歌のように流れるコトバの組み合わせに魅了されてしまいました。
伝えたい内容とマッチしたコトバのリズム間が妙に心地良く、すーっと体内に入ってきました。
普段から目を見開いて、あらゆることをネタにしようという気迫が伝わってきて、大いに励みになりました。
以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。
大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残を夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。沿道の脇にある小さな空間に、裏返しにされた黄色いビールケースがいくつか並べられ、その上にベニヤ板を数枚重ねただけの簡易な舞台の上で、僕たちは花火大会の会場を目指し歩いて行く人達に向けて漫才を披露していた。
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確かに1日の充実感を携えて帰宅したところをペットのインコに「悔しくないんか?」などと言われたら、少しだけ羽を燃やしたくなるかもしれない。
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神谷さんの淀みなく流れるような喋りを聞いていると、自分が早く話せないことに苛立つ時があった。頭の中には膨大なイメージが渦巻いているのに、それを取り出そうとすると言葉は液体のように崩れ堕ちて捉まえることができない。
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昔は人間も動物と同様に冬を越えることは命懸けだった。多くの生命が冬の間に死んだ。その名残で冬の入口に対する恐怖があるのだということだった。その説明は理に適うのかもしれないが、一年を通して慢性的に憂鬱な状態にある僕は話の導入部分から上手く入って行くことが出来なかった。
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「平凡かどうかだけで判断すると、非凡アピール大会になり下がってしまわへんか?ほんで、反対に新しいものを端から否定すると、技術アピール大会になり下がってしまわへんか?ほんで両方を上手く混ぜているものだけをよしとするとバランス大会になり下がってしまわへんか?」
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ただ、空を見上げ、「どのタイミングでやんどんねん。なあ?」と何度か僕に同意を求めた。喫茶店のマスターの厚意を無下にしたくないという気持ちは理解出来る。だが、その想いを雨が降っていないのに傘を差すという行為に託すことが最善であると信じて疑わない純真さを、僕は憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が入り混じった感情で恐れながら愛するのである。
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エジソンが発明したのは闇
エジソンを発明したのは暗い地下室
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「幽霊の格好してサービスするとか、そんな説明いる?想像してまうからディテールまで聞きたくなかったわ」
こういう時、想像力というのは自分に対する圧倒的な暴力となる。
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「荷物一人で取りに行ってな、万が一そいつに文句言われたら殺してしまいそうやから、ついて来て貰いたいねん」
「二人の方が殺しやすいですもんね?」
「とめろ!とめろ!とめんかい!」
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今声を出すと、頼りなく震えるだろう。二度聞きされることを恐れ、「十年間、ありがとう」という言葉は呑み込んだ。
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必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう?一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。
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漫才はな、一人では出来ひんねん。二人以上じゃないと出来ひんねん。でもな、俺は二人だけでも出来ひんと思ってるねん。周りに凄い奴がいっぱいいたから、そいつ等がやってないこととか、そいつ等の続きとかを俺等は考えてこれたわけやろ?ほんなら、もう共同作業みたいなもんやん。同世代で売れるのは一握りかもしれへん。でも、周りと比較されて独自のものを生み出したり、淘汰されたりするわけやろ。この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある。だから面白いねん。
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ほんで、いつの間にか俺、巨乳になっててん。今では、ほんまに後悔してる。ほんま、ごめん
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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。
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