中村真の「日本の神さまと上手に暮らす法」を読みました。
以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。
セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートといった大手から地方型のお店まで含めると、コンビニエンスストアは日本全国に7万店舗弱あるといわれています。
いっぽう神社といえば、全国の神社をまとめている<神社本庁>に登録されているだけでも8万社以上。伏見稲荷大社、日光東照宮のように神社本庁に登録していない神社もありますし、本当に小さな祠まで含めると、「15万社以上、20万社弱くらい」というところでしょうか
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自分探しをしたくて海の向こうまで出かけたのに、「自分を語る言葉は
地元にあった!」と気がついたところがあります。そして神社とは、特定の宗教をもたない人間が歴史と信仰について学ぶきっかけであることにお気が付きました。
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伊勢神宮というのは通称で、正式名称は<神宮>。明治神宮、熱田神宮、宇佐見八幡神宮など、全国各地にあまたある神宮のトップゆえに、伊勢神宮の本当の名前はただの神宮なのです。
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動物であれ、植物であれ、自分の命を育んでいくためには、誰かの命をいただかねばならず、それこそが食事です。そう思うと、「誰にも迷惑をかけているわけじゃない」などと決して思えなくなります。「全部、自分の力でやっている」と突っ張った方の力も、ふっとほどけていきます。
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つまり、神頼みはしない。神さまにお願いするのではなく、神さまの前で誓いを立てるために神社に行く。僕は自分でそう決めており、人におmおすすめもしています。
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歩きはじめの第一歩は、真ん中を歩くであろう神さまから、遠いほうの足を出します。
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二礼二拍と決まったのは明治時代以降の話です。
それまではもっと自由だったのです。
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拝殿に上がるにあたって靴を脱ぐときは、脱いだままにしておくこと。人の家を訪問するときのマナーですが、神さまの家ではお尻を決して神さまに向けないように、後ろ向きに靴を履いて失礼するのがマナーです。
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「しなきゃいけません」は不思議な言葉で、人に義務感を与えることもあれば、安心感を与えることもあります。特に神さまが絡むと、「昔からこのように決まっているから、こうしなさい」と言うだけで、絶大な説得力があるでしょう。
安心できるんのはいいことですが、義務感というのは窮屈です。
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不治の病のいくつかは克服され、一生かけても食べる機会がなかったような珍しい食べものもお金を出せば味わえ、蛇口をひねれば新鮮な水がいくらでも出てきます。
そうすると僕たちは、うぬぼれてしまう。万能感を抱いてしまう。慢心し、自然すらなめてかかってしまうのです。自分の弱さを忘れ、人の弱さを忘れ、自然の強さを忘れる。これはとても怖いことだと僕は思います。
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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。
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