村上春樹の「レキシントンの幽霊」

村上春樹の「レキシントンの幽霊」を読みなおす。本書が発行された時に読んで以来の久しぶりの再読。日本からお土産で持って来てくれたトモさんセレクションの一冊。

本書は、7つの短編からの構成されていて、最初に掲載されている短編「レキシントンの幽霊」(34ページ)が、そのまま本書のタイトルとなっている。

個人的には、短編「レキシントンの幽霊」より、「氷男」のプロットの設定や「トニー滝谷」の描写の方が村上春樹読書欲を満たしてくれた。短編「レキシントンの幽霊」が、「ねじまき取りクロニクル」(1996年)の後に書かれた作品で、その他の短編が「ダンス・ダンス・ダンス」「TVピープル」の後(1990、1991年)に書かれたという背景を(コンテキストを)、意識しながら読むことで、これらの短編の文体の違いが腹落する。

僕の勝手な思い込みではあるのだけれど、村上春樹の「1Q84」を読むまでは(初期の作品のインパクトがあまりにも強かったことから)、村上春樹は「繋がる」ことに長けていて、その方法論を確立した作家だと想像していた。しかし、「レキシントンの幽霊」を読む事で、これが飛躍した解釈であったことにようやく気がつくことができ、そして、同時にホッとした。これは田口ランディーの「コンセント」や「アンテナ」「モザイク」を読んで、最終的に「アルカナシカ-人はなぜ見えないものを見るのか」を読んだ時感じた感覚に似ている。

そういう意味では、この「レキシントンの幽霊」は、彼らは「繋がること」を得意としているのではなく、「いちど繋がった」ことを大切に自分の中で熟成させながら、日々表現力を研ぎすまし、そして時代の変遷とともにこれらを変えてきた効率的で現実的な表現手法を用いた作家なのかもしれない、と、少し違う目線で作品と作家の関係を眺めることを可能にしてくれた、大きな「気付き」の一冊となった。

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