リチャード・バックの「かもめのジョナサン」 (新潮文庫 ハ 9-1)を読む。
「かもめのジョナサン」は、今まで英語で読んできたのだけど、どうしても日本語で読み返したくなって取り寄せた。
手にして初めて知ったのだけど、日本語は五木寛之の翻訳だったのですね〜。
五木寛之氏の「他力」や「親鸞」は僕の大好きな本であり、仏教本を読みあさるきっかけでもあったので、リチャードバックの「かもめのジョナサン」の仏教的な匂いのする思想をどう解釈したのかが知りたくて「解説」をめっくった。
読んでこれまたビックリなのだが、五木氏は、本書に「強い抵抗を抱きながら全力をあげて考え」創作翻訳をしていたのだ。70年代のヒッピーの中で爆発的な人気を獲得した本書に共感して翻訳した訳でなく、抵抗感を感じながらも、時代の空気感を理解する為に翻訳を引き受けた訳だ。なんだか妙に納得した。
今回改めて読んでビビっと気になった文章は以下の通り。
・やがてジョナサンは、カモメの一生があんなに短いのは、退屈と、恐怖と、怒りのせいだということを発見するにいたった。そしてその三つのものが彼の心から消えうせてしまったのち、彼は実に長くて素晴らしい生涯を送ることとなった。
・思った瞬間にそこへ飛んでゆくためには、ということはつまり、いかなるところへでも飛ぶということになるのだが、それには、まず、自分はすでにもうそこに到達しているのだ、ということを知ることから始めなくてはならぬ・・・
・カモメとは、自由という無限の思想であり、また<偉大なカモメ>のいわば化身であって、体全体が翼の端から端まで、きみらがそれと考えるもの以外の何ものでもないことを理解しなければならん。
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