田中真澄の「幸福になる考え方」

田中真澄の「幸福になる考え方」を読む。

気になったフレーズが結構多くあった。
鍵は確実に「過去」には存在しない。もしかしたら「現在」以上に「未来」なのかもしれない、と。

・人はただ奴隷的に存在する安逸さに慣れてしまう。・・・かつての奴隷たちは、奴隷船につながれて、新大陸へと運ばれた。超満員の通勤電車の詰め込みの方がもっと非人間的ではないか。現代の無数のサラリーマンたちは、あらゆる意味で、奴隷的である。金にかわれている。時間に縛られている。上司に逆らえない。賃金もだいたい一方的に決められている。・・・(かつての)奴隷たちは、それでも家族と食事する時間がもてたはずなのに・・・。

・惚れて夢中になれば、そこに時間投下と努力傾注の一点集中効果があらわれるから、人よりも腕があがる。それが自信になって、ますますいい仕事でできるようにとがんばる。このような人は、いいものを求めている世の人々によって、いつかは認めてもらえる。そして当初は考えてもいなかったチャンスを与えられるものなのである。人間の体から発せられているものに「気」がある。何ごとも本気で打ち込んでやっていると、その人から気迫を感じる。目には見えないものがそういうものを人々が感じるのは確かである。仕事に対する気迫が持続していると、その人の人生は必ずは好転していくものなのである。

・自分の存在理由を、自分自身の上にのみ見出そうとする者は、自分が広い社会の中で生きている社会的存在であるということ、そしてその彼にとっての生活の上での充実感は、社会に自分が役立っていると信じることができ、しかもそれが客観的にみとめられているときに生まれるものであるという点を見落としている。生きがいとは、本来、彼が社会にとって有意義な存在であることを自らがみとめることができる、そのところからスタートするのである。

・21世紀は、大衆化と小衆化の二極分化の時代である。大衆化に焦点を合わせて世の中を見てみると、そこには、レジャー文化が花咲いている。大勢の人々が押し合い圧し合いしながら、混雑のなかを歩いている姿が目に浮かぶ。一方、小衆化に焦点を移すと、マイペースで悠々たる人生を歩んでいる人々の幸せそうな表情が見えてくる。できれば、私たちは、混雑のなかでどこにいったらいいのか迷ってしまうような人間にはなりたくない。

・目的が明確になると、思考は的をしぼり込むようになり、その結果、行動は、次第に具体的なものを求めて発動するものである。この段階までくると、強烈な願望は、必ず夢を実現するという人生の原理が私たちを助けてくれる。

・これからの時代は、生きがいを求めて生きる時代である。どんなに儲かる仕事があったとしても、その仕事に生きがいを見出せなかったら、当事者にとって、その仕事に従事することは、幸せとはいえない。

・サイコサイバネティックスという新しい科学は、「心」というのは、脳と神経系からできる一種の仕組み、それも目標を与えることによって効率よく作用する仕組みであるとする理論である。つまり、人間の心は、当事者自身が設定した目標しだいで、幸せをつかうようにも働くし、不幸をなげくようにもなるのである。「成功目標」をかかげれば、「成功の仕組み」が働くし、「失敗の目標」をかかげれば、「失敗の仕組み」が自動的に働くわけである。

・日常のすべたが自己鍛錬の機会である。目標に向かって努力することそのことが、実は幸福なのである。幸福とは観念ではない。努力していく行動なのである。

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