体力超人ことケイイチくんは、結局体力が果てたのか(笑)我が家で一泊することに。ハワイで一緒に波乗りするまでは「日本でたった一度だけ(しかも数時間ほど)地元の茅ヶ崎飲み会で一緒になった男」だったのだけど、3日間一緒にハワイで時間を過ごすと、すっかり仲良しになってしまうから不思議だ。これもハワイと言う土地が齎すパワーなのだろうか?それとも、ただ単に「我が家のあまりゲストに気を使わないムード」が、ケイイチくんにとって気楽だったのかもしれない(笑)いずれにせよ、僕に対してこう言う風に接してくれる人間が一人でも増えることがとっても嬉しい。
ケイイチくんは、昨夜我が家のルルくん(=ルンバの通称:詳細はこちら)を見て、日本でお留守番をしている奥さんにお土産として買っていくことを決意。朝一で一緒にコストコへ行って購入(299ドル:→やっぱり日本で買うより安いよね?)これで日本でお留守番している奥さんも喜ぶでしょう〜♫
その後は、修行の場としてお世話になってきたシロキヤにて我が社アロハブランディングに問い合わせを頂いたシンさんと初顔合わせ。その突然のメールにドキドキしながらも、数十分もすると、かなりディーブところまでお互い曝け出して語っていた。残念ながら今日は時間切れとなってしまったが、シンさんともう少し語ってみたいと思った。
「もう少し語ってみたい人」の確固たるバロメーターが自分の中にはある。それは至って単純。一緒に話をしていて、「鳥肌が立つか立たないか」がそれである。「鳥肌」とは、「直感」を生理的現象に置き換えた最も分りやすいものだと勝手に解釈している。人と話をして「鳥肌が立つ瞬間」、それは自分の世界が変わっている瞬間な訳だ。でも、話をしている間に、あまりにも頻繁に鳥肌が立ち続ける人は、これは体が恐怖を覚えていたりもするので要注意(笑)。あくまでも持論だけど、1時間半くらいの間に、1、2回鳥肌が立つ相手が、自分には丁度いい。シンさんにはそれがあった。
今更ながら「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」を読む。読んでいてこの本が売れた理由が良く分った。人間は「媒介」なのだ。「Medium」とも言う。簡単に言うなら「翻訳、通訳」をするのが人間にとっての一種の生き甲斐だと思う。人間とは、自分と言うフィルターを通して、新たな解釈を作り続ける生き物なのかもしれない。昔からそれが繰り返されて来たからこそ「温故知新」なることわざが語り継がれてきたのだろう。ベタに表現すると「食べて、出す」「聞いて、語る」「インプットとアウトプット」。ヒット作品で言うと、自分に入れたものを、その人のフィルターを通じて、そして一般の視聴者や読者レベルに適した「翻訳」ができるか否が分岐点となるのであろう。
そう言う意味では、もう一冊読んだ、石田衣良の「うつくしい子ども」もスゴイものがある。石田衣良のキャラクター設定は、多くの場合、自分では到底想像もつかないプロットから構成される。13歳の殺人鬼となってしまった弟を持つ兄の心境を描く作品なのだけど、こんな状況は普通に生きている限り想像できない。でもこの小説では、そう言う立場におかれた時、人間はどう言う風に立ち振る舞うのかを「翻訳」してくれている。
人生を通じて色々な出会いがあり、その中で自分と言うフィルターを通じてどうやって社会貢献をするか(少しでも自分が生まれてきた時より良い世の中にできるか)そんなことを問い続けるのが人間なのかもしれないと思ったりもする。
サーフィンと肉体の話。フロントサイドは今まで通り問題ないなのだけど、バックサイドは左のふとももの古傷(筋肉が切れている)のせいで、なんだか最近しっくりこない。ヒザが曲がらないくて前足に力が入らない。うーん。ハワイでいい鍼はないものかな?どこかいいところないかな?
日本の昨日の地震が気になる。プレートがまだ動いているのだろう。色々な自然現象があるのはやむを得ないけれど、一日でも早く日本にいるみんなの心から、あの日感じた感覚が薄れて行くことを願っています。
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