三浦しをんの「神去なあなあ日常」
を読みました。
山を表現するのに使われる匂いの描写が印象的でした。
三浦しをんさんが作り出すキャラクターは、いつも魅力的。
悪く映る人間がだれもいない。
登場人物のみんなを好きになってしまうキャラ構成。
見事としか言いようがない。
以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。
気温が上がると、空気にいろいろなにおいが混じりはじめる。小川を流れる澄んだ水の甘さ。いままさに土を押しのけようとする草の青さ。どこかで枯れ枝を焼く焦げくささ。冬のあいだに山深い場所で死んだ獣のかすかな腐臭。なにもかもがいっせいに動きはじめ、新しい季節を迎えようとしている。
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俺の目には、コブラのようにのびあがった繁ばあちゃんの残像だけが焼き付けられた。
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「どうして面積や容積を示すときに、東京ドームが単位になるんだろうな」
清一さんがもっともな疑問を呈し、
「東京ドーム自体を実際に見たことねえから、何個て言われてもわからん」
と三郎爺さんが腕組みした。
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「山の神さんに祝福してもろた身なんやから、山で生きて山で死ぬるのはあたりまえや」
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尾根に向かって、木を右に切り落とすことを右斧、左に切り倒すことを左斧という。さらに、伐倒する方向は細かく八方位に分けられる。「追いこま」っていうのは、右斜め上方に倒すこと。「こまざか」は、斜め下方四十五度に倒すこと。水平は「横木」、真上は「権兵衛」、真下は「小便垂れ」だ。
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水のにおいは、夏が近づくにつれ濃くなっていく。
いや、田んぼのにおいかもしれない。甘酸っぱくて、しっとりとした重みのある、いつまでも嗅いでいたくなるようなにおいだ。街では、こういうにおいに気づいたことがない。栄養分たっぷりの土と若い緑に、澄んだ水が触れてはじめて生まれるにおいだ。
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「だからな、人間の都合で木を植えまくって、それで安心したらあかんのや。やっぱり、大切なのはサイクルやな。手入れもせんで放置するのが『自然』やない。うまくサイクルするよう手を貸して、いい状態の山を維持してこそ『自然』が保たれるんや」
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「手数料や」
そんなばかな。哀しい思いで十八枚の五百円玉を眺めていたら「ふぇっ、ふぇっ」
と繁ばあちゃんが笑った。「デュークや」
だれだよ、それ。
「・・・もしかして、ジョークって言いたい?」
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ひでえ。だけど俺は知っている。たぶんヨキは、「いざ」というときが来ても、ノコを食べたりしない。むしろ、
自分の肉をノコに食わせるかもしれない。ノコにおしゃれはさせあにけれど、ヨキぐらい飼い犬を大事にするやつはいないんじゃないかな。
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天才的な山仕事の能力と適性と勘を兼ね備えたヨキ。そんなヨキが神去村に生まれ、山を愛する性格だったことを、奇跡のようだと俺は思う。
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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。
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