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アロハブランディングの制作実績を追加しました。

エイ出版の「ホノルル本 2018」の一部ライティングを担当しました。

 

ホノルル本2018 アロハブランディング

 

» Link: アロハブランディング制作実績

 

一部デジタルでの立ち読みができます。興味ある方はご覧ください。

» Link: エイ出版 ホノルル本 2018

 

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北康利の「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」(下)

 

北康利の「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」(上)に続き、 「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」(下)を読みました。

まさに、「一樹一獲は穀なり。一樹十獲は木なり。一樹百獲は人なり」

 

以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

明治11年(1878年)12月、第一回東京府会議員選挙が行われた。当時は選挙権も被選挙権も、年齢と納税額で決められている。この時、諭吉は府下最高得票で選出された。

 
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最初に打診したのが徳川宗家(将軍家)であった。窓口はあの勝海舟である。自尊心の強い諭吉にとって、相当屈辱的なことだったに違いない。しかしそこはぐっと堪えて窮状を訴えた。

 
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明治13年(1880年)、ついに諭吉は廃塾を決意する。
(これからはどこかに隠棲して、悠々自適の生活を送ることにしよう)

 
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身分制を蛇蝎の如くに嫌う彼は、子供たちの間にも上下関係を持ち込ませなかった。上の者が命令口調で目下に接することはなく、しごく平等な関係にした。兄や姉が弟妹の名を呼ぶ時もけっして呼び捨てにはせず、「捨さん」「おさとさん」といった風。

 
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明治14年の政変

心許していたただけに、裏切られたと知った時の怒りは凄まじかった。自分の門下から権力の亡者が出てしまったという情けなさもあって、「心外」だとか「残念」だとかいう生易しい言葉では表現できない感情が胸の中で煮えたぎった。

 
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余談になるが、そもそも諭吉は筆まめで、生涯に1万通を越す手紙を書いたと言われている。

 
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井上(角五郎)の努力から40年ほどが経った1920年頃から、朝鮮では自国の言葉のことを、誇りを持って「ハングル」(偉大な文字という意味)と呼ぶようになった。

 
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諭吉は宗教にはあまり関心をしめさなかった。
(宗教の中にはいろいろな宗派があるが、その違いは普通の茶と紅茶の違いぐらいであって、どちらを飲んでも大した違いはない)という、宗教家が聞いたら怒りだすようなことを、例によってわざと述べている。

 
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臨終はいつの場合も、人間の尊厳が集約される瞬間である。
明治34年(1901年)2月3日午後10時50分、生命の砂時計の最後の一粒が流れ落ちると、忙しく働き続けた諭吉の器官はついにその動きを止め、やすらかな永遠の休息へと入った。享受六六。

 

 

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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

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福沢諭吉 国を支えて国を頼らず ブックログ 長澤宏樹

 

「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」(上)を読みました。

在学前に読んでおくべきたったなー、と後悔。

すでに40を過ぎながらも、いまからどうすれば、
少しでも近づけるものか? と考えさせられる一冊。

 

以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

米を換金しないと味噌も買えない。札差と呼ばれる両替商のところへ行くと、一石がおよそ四両に換金できた。現在の貨幣価値に換算するのは極めて困難だが、大胆にいってしまえば、一両が現在の10万円ほど。ただし幕末近くになるとインフレが進行し、5000円ほどの下落してく。

 
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ちょうど諭吉が生まれた頃、長年探していた「上論条例」という前64巻の本を手に入れることができた。「上論」とは法令の公布文を指し、清の乾隆帝時世下の法令を記載した書である。およそ一般の読書人が手に取るようなたぐいの本ではない。
余程うれしかったらしく、上論条例」から「論」の字を取って、「論吉」という通り名をつけた。

(注釈)

余談だが、彼の姓は本来「ふくさわ」と清音で読む。

 
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狐と狸の化かし合いである。しめしめうまくいったと十学が心中得意になっていると思うと全身の血が逆流しそうになったが、そこはぐっと堪え
(この馬鹿野郎!)
心中そう罵りながら長崎をあとにした。

 
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この出会いが諭吉の人生を決定付けることになる。十字の嫌がらせがなければ緒方洪庵との出会いはなかったわけで、そうすれ後に日本の顔となる福沢諭吉もおそらく誕生していなかったであろう。

 
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一樹一獲は穀なり。一樹十獲は木なり。一樹百獲は人なり

 
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この頃、世の中は大きな変化を見せ始めていた。安政元年、ペリーが再来航して日米和親条約を締結。ロシア、オランダ、英国との間にも同様の和親条約が結ばれ、219年続いた鎖国政策に終止符が打たれた。

 
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早速行動に移した。当時英語のできる数少ない日本人の一人であった爆風通辞の森山栄之助を訪問し教えを乞うた。

 
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初代大統領のワシントンといえば日本、源頼朝か徳川家康に匹敵する人物と思うのだが、その子孫の動向については市民がさして感心を持っていない。

 
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諭吉は人との交際に関して、二つの大きな長所を持っていた。
一つは一度会っただけで顔と名前を覚えることができたこと。もう一つは億劫がらずに手紙のやりとりいを続け、一期一会を大切にしたことである。

 
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結局、「学問のすゝめ」は第十七編まで発刊され、完結したのは初編が出た四年後の明治九年。全部合わせると実に340万部以上が売れ、洛陽の紙価を高めた。

 
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なんとかして師の負託に応えねばならない。省に戻った九鬼は知恵を絞り、「慶應義塾で三等以上の者は、東京英語学校さんんか年以上の教科書を卒業した者と相当類似したるものと認める」

 

 

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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

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三島由紀夫の「命売ります」

 

三島由紀夫の「命売ります」を読みました。

悪い夢でも見ているようなストーリー展開。

狙って書けるような内容ではないようなきがする。

途中、何回か混乱しました(笑

 

以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

「あなた、まだ若い。今日のことみんな忘れる。よろしいね。今日あったこと、ここの場所、今日会った人みんな忘れる。よろしいね。忘れれば、それであなた、いい思い出ができる。この言葉、あなたの人生へのはなむけだ。いいですね」

 
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「考えてみると、俺が死体をまともに見たのははじめてだ。おやじやおふくろの死体は、こんな風にまともに見たわけじゃない。死体って、何だか落ちてこわれたウイスキーの瓶みたいじゃないか。こわれれば、中身が流れ出すのは当たり前だ」

 
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いつまでも羽仁男さんに生きていてほしいという気持ちがするんだけど、おふくろも内心きっとそう思っているにちがいないけど…でも、おふくろはますますも羽仁男さんを好きになってるから、きっと近いうちに君を殺すよ。

 
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人生が無意味だ、というのはたやすいが、無意味を生きるにはずいぶん強力なエネルギーが要るものだ、と羽仁男はあらためて感心した。

 
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無意味はヒッピーたちの考えるような形で人間を犯して来るのでは決してない。それは絶対に、新聞の活字がゴキブリの行列になってしまう、ああいう形でくるのだ。
道と思って平気で歩いていると、それが三十六段のビルの屋上の欄干だったりすると。

 
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いいか、玲子。僕は人の命を買う人間、しかもそれを自分のために使おうという人間ほど、不幸な人間はないと思っている。それは人生のどん底で、僕のお客はみんな可哀相な奴だった。そういう奴だから、僕も喜んで飼われてやったんだ。君みたいに、三十歳の子供で、今夜処女を失って、検討外れの空想で人生に絶望して、その実、人間のほんとうのドンづまりに来ていない女なんかに、僕の命を買う資格はないんだ

 

 

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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

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阿刀田高の「こんな話をきいた」

 

18話の短編からなる一冊。

すべての話が「こんな話をきいた」の出だしからはじまり、「小話」→「本編」へと移っていく構成

ショートストーリーづくりの勉強になる一冊。

 

以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

「そうなんです。それが晩年のつもり貯金だったんでしょうね。貯金したつもりで、どんどん使っていらした。その”つもり”をご自身で納得するために、アメリカにいらっしゃる甥御さんに毎年報告していらしたんでしょうね。私も亡くなられる少し前に感づいていたことでしたけど…」
「そうだったんですか…」
確かに。これもまた、もう一つのつもり貯金であることは・・・異を挟めない。おそらく弁護士の報告に間違いはあるまい。

 
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驚いたのは服装のほうではなく、彼女自身の美しさのほうだ。まちがいのない美少女…。不思議に思ったのは、
ー こんなにきれいな子が身近にいるんだ ー
という発見であり、それを追うようにして、
ー みんなきづいてないのかなあ ー
という疑問が込みあげてきたからだ。

 
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当然のことだ。迷ったこと自体が恥ずかしい。とはいえ誘惑の匂いはとてもかぐわしい。このままポケットに収めても露見の可能性は小さいだろうけれど、いつまでも心が痛むのは決定だ。脇腹の痛みは二三日のうちに消えるだろうけれど、心の痛みはいつまでも消えない。

 
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「(死後の世界は)どこかにあるわ。あのネ、世界中にいろんな民族がいるけど、どの民族もみんな宗教を持っているでしょ。宗教はかならず死後の世界こと、言うじゃない。とても偶然とは思えない。人間は直感的にそれを感じ取ったのね。長い歴史の中で、いろいろと…。実際、この世とはべつな世界をかいま見た人はたくさんいるし、報告もされているわ。あるのよ、絶対に」

 
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「まあ、そうよねえ」
姉の夫も、よくわからないけれど、多分普通のほうだろう。このテーマはこのあたりで終わった。あとはティを二ははいも三ばいも淹れ替え、かき餅をつまみながら、愚にもつかない世間話を交わす。ケーキ造りの失敗、生命保険のよしあし、あき巣狙いの噂、左ききの経済的損失…そのうちにどうしたはずみか、
「この前、夜道を歩いていたら」
と、侑子が思い出して呟いた。

 
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リーダーたちがヒクヒクと弱っているときに歴史が編まれることはない。昇り調子になったとき、さらに勢いをつけるために歴史が編集され、上梓される。地方史としても例外ではない。地方行政がまともになったところで編集の予算が組まれ、いろいろとひどい時期もあったが、いまはこんな状態で展望は明るいと、そういうモチーフで綴られていく。つまり戦後の四、五十年が大切なのである。

 
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いったん話題がほかのことに移っても途切れてもまたもとに戻るのが二人の会話の特徴だ。子どものときから、いろいろなことを、それぞれが勝手に言いだし、それでいながら会話が成立していた…そんな習慣が今でも残っているらしい。

 

 

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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

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